廃村・倉沢村に行ってきました
休日を利用して、奥多摩まで家族でお出かけしてきました。
今回の目的地は、倉沢村という廃村です。
奥多摩はいつ訪れても東京都とは思えない田舎っぷりでワクワクさせてくれます。
倉沢村の入口。
ここからは山道を徒歩になります。
山育ちの俺には何でもない山道も、3歳児と嫁(東京育ち、ブーツ着用)には厳しいみたいです。
とても遅い。
日陰には雪もありました。
それにしても、こんな道を歩かないと行けない村があるなんて・・・。
なんだか感動です。
道の途中にあった 倉沢の大ヒノキ。
都内でも随一の大木を誇るそうです。
圧巻。
ここまで大人の足で15分ほどでこれるのですが、我々は40分くらいかかりました。
この大ヒノキの脇を抜けて、5分ほど歩くと目的の倉沢村がありました。
倉沢村入口。
凄い!
本当に村があった!
なんだか映画や漫画の中の世界に紛れ込んだような気分です。
比較的新しい家もありました。
後々、調べてみたらここには坂和さんという方が住まわれていたようです。(色々なウェブサイトを見た感じだと2005年頃まではご存命だったみたいで、その当時で97歳とか・・・)
この家以外には家は無かったので、おそらくこの家にお住まいだったのでしょう。
で、こちらがさっきの家に向かって左側の斜面。
この石垣で作られた段々に、家が建っていたみたいです。
ここの家々も、2005年くらいまではあったみたいですが、今では跡形もなく撤去されていました。
家の跡。
廃材だけがありました。
この村の歴史を調べてみると、元々この倉沢の地には集落があり、先ほどの坂和さんのご先祖が住んでいたらしい。同じ名字の人達だけがすむ村だったそうです。
それが昭和の初頃に、石灰鉱山奥多摩工業という会社の社宅が建てられてそうです。なんでこんな所に社宅?と思ったのですが、どうやら当時は日原(一枚目の写真のあたり)まで来るのも徒歩だったらしく、麓から徒歩で鉱山に来るよりは、この地に社宅を作った方が経済的だったみたい。
そこで目を付けられたのがこの倉沢村だったらしい。先ほどの段々になっている部分は元々坂和家の段々畑だったようです。 でも、昭和40年代になると道も舗装されてしまったので、ここに住んでいた社員達はみんな村を離れたようです。
そして廃村へ・・・。
正確には2005年くらいまでおじいさんが一人で住んでいたようですが。
初めての廃村だったのですが、 今の日本に(しかも東京に)こんな村があるなんてと驚きました。本当は建物が残っている時に訪れたかったのですが、それでも十分に雰囲気ありました。
休日にファミリーで訪れるにはもってこいの場所だと思います。
妻も子供も楽しそうでした。
ツマモ、コドモモ、タノシソウ、デシタ。(ホントウニ)
6 Comments
ホントウニ タノシソウ ダッタデスカ?
ココハ ワタシモ イキマシタ
チョウド オオクノ タテモノガ カイタイ サレル
チョクゼン デ シタ。
やべぇ いきてぇ。
忙しくて遠出ができない人にとっては、
満足しちゃう日記ですね。
ナンデ、サイゴハ カタカナナノ。
私も廃屋とか古民家好きだけど兄弟揃って趣味似ててキモイー
倉沢村で一人で住んでいるお爺さんを何度かテレビで見ました!亡くなる前に会いたかったな〜